リンクスフィールド・リッジ ・ハウス
南アフリカ、ヨハネスブルク

異国情緒のある板張りの床や調度品まで完全に復元されたリビング・ルーム。ここは南アフリカにおける計画やプログラムに関するミーティングに使われました。
ハバード氏の書斎には、参考書、シマウマの敷物、アフリカの工芸品、彼が南アフリカで使った映画撮影用カメラなどが置かれています。
1960年代後半、L. ロン ハバードは南アフリカのヨハネスブルグでの長期滞在を目的に、セントヒル荘の自宅を出発しました。彼の南アフリカ滞在における画期的な功績のひとつとは、彼が南アフリカの足かせとなっていた人種隔離政策に対して「一人一票」法案を作成したことです。また、平等と正義のために権利と刑法に関する法案も提出しました。

リンクスフィールド・リッジにおけるもうひとつの画期的な功績は、サイエントロジー組織への入門ルートが開発され、新しく生まれたばかりのサイエントロジーのグループに対応するための、センターとシティー・オフィスという新しい組織が設置されたことです。

彼が滞在した住居は完全に復元されており、そこにはL. ロン ハバードが南アフリカの刑務所を訪問した話、彼が始めた犯罪者更生プログラム、南アフリカのサイエントロジストに提供した講演、ローデシア(現在のジンバブエ)での先駆者的な仕事が展示されています。

また、役人や政府高官がここで会合を開き、L. ロン ハバードが開発した社会改善の技術を利用した、南アフリカ国民のための教育プログラムを計画しています。

同様に、サイエントロジストも今日、ハバード氏がかつて役人や政府高官をもてなしたリビング・ルームを訪れています。また、彼がすべての南アフリカ人のために憲法を書き、全人類のためにサイエントロジーのテキストを書いた書斎も見ることができます。